役病平癒祈願に鎌倉から5社7仏を勧請
武蔵武士、榛沢六郎成清が、文治5年(1128年)、領民の疫病平癒祈願のため、
源頼朝より寺号を拝領し、薬師仏を得、当寺を創建したとされる。
その後、法印祐宗により至徳三(1386年)再興された。
この頃、当寺は、針ヶ谷弘光寺の第一席末寺となっており、
全盛時には、七堂伽藍を備え、末寺百二十ヶ所を有したと伝えられている。
以後、僧侶修行の学山として栄えたが、明治6(1873年)に出火、本堂、寺宝等はことごとく消失した。
この中で、本尊薬師如来像は、当時薬師堂にあり、消失をまのがれたといわれている。
現存する本堂は、平成2年に再建されたものである。
住職墓地中央には、初代祐宗より、29代明偏まで歴代住職の名が刻まれている石碑が建っている。
東光寺[宗派:真言宗豊山派]
〒369-0222 深谷市後榛沢376-1